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昔ばなし

めっけ稲荷




 清水台の愛宕神社の脇にある「めっけ稲荷」は忠臣蔵の仇役になる吉良上野介義央の江戸屋敷に「妻恋稲荷」として祀られていた。

 郡山の呉服屋に生まれた石塚彦宗は吉良の家来として江戸屋敷に住み、毎日この稲荷にお参りしていた。

 元禄15年12月14日(1703年1月30日)の夜、突然、吉良の屋敷は大石内蔵助良雄ら四十七人の赤穂浪士におそわれた。

 吉良家の人たちはけんめいに戦ったが彦宗は浪士に斬られ身体をひきずりながら屋敷の外に逃れ出た。「ああ、もう自分はここで死ぬのだ」とあきらめ、気を失いかけたその時「ここにいては助かるまい。お前の故郷(くに)まで連れていってやろう」と耳のそばで声がした。

「誰か?」と見上げると大きな狐が背中を向けている。「さては日ごろ信心する稲荷様がこの狐をつかわしてくださったのか」と彦宗は、おそれながらもその背中にまたがった。狐は冬の夜空に舞い上がり雲の上を飛んで駆けた。やがて地上におりると、そこは郡山の自分の家の前であった。

 気がつくと狐の姿は消えていた。

 そののち、命をとりとめた彦宗は武士の身分を捨て、呉服屋の商いに励んだ。この店は今でも大町にある「古いせや呉服店」といわれている。

 彦宗が吉良の江戸屋敷から歓進して祀った「妻恋稲荷」。土地の人は「めこう神社」「めっけ稲荷」とよんでいる。

 
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